親ガチャの呪いが少しだけ軽くなった日。6年間囚われた24歳が、動けるようになるまで。

EP.SPECIAL

親ガチャの呪いが

少しだけ軽くなった日。
6年間囚われた24歳が、

動けるようになるまで。

高校2年で「人生は運ゲーだ」と気づいた。
IQの遺伝率は66%。数学は87%。音楽は92%。
6年間、その数字に縛られて止まっていた。
この記事は、そのループから「少しだけ」抜け出せそうになった記録だ。
2026.04.03  |  WRITTEN BY KUNIMOTO  |  22 MIN READ
PROLOGUE

6年間、同じ部屋の中を
ぐるぐる回っていた。

高校2年のとき、「人生は運ゲーだ」と気づいた。

きっかけは覚えていない。たぶん5chのまとめサイトだったと思う。「親ガチャ」「遺伝子ガチャ」「才能の壁」──そういう言葉がスレッドに並んでいて、ひとつずつ読んでいくうちに、ああ、これは俺のことだ、と思った。

66%
IQの遺伝率
87%
数学の才能
92%
音楽の才能
59%
収入の遺伝率

つまり、数字を見るたびに、「じゃあ俺が何をやっても、半分以上は最初から決まっているのか」という結論に着地した。

しかし、その結論は6年間、ずっと変わらなかった。

具体的には、18歳から24歳まで。高校を出て、大学に進学して、一留して卒業して、実家に戻って、そこから万引きGメンをやって携帯販売員の派遣を2ヶ月で辞めてGメンを辞めたら5万円ただ働きになって、ブログを始めて、月収がゼロのまま記事を書いて。つまり何をしても「でも遺伝だしな」がループの出口を塞いでいた。

6年間、同じ部屋の中をぐるぐる回っていた。これは比喩じゃない。実際に暗い部屋で、布団の中から出られない日がたくさんあった。アニメを見て、YouTubeを見て、5chのまとめを巡回して、「やっぱり人生は運ゲーだ」とまた確認して、寝る。そして翌日も同じ。

この記事は、その6年間のループから「少しだけ」抜け出せそうになった話を書く。完全に抜け出せたわけじゃない。抜け出せそうになった、だ。けれども「少しだけ」の方が、たぶん正直だし、同じ場所にいる人には「完全に変わりました」より届くと思っている。

DATA

この記事のスペックシート。

書いている人24歳 / 無職 / 月収 ¥0
テーマ親ガチャの呪いから「抜け出せそうになった」記録
呪い期間2018年(高2)〜 現在(6年超)
きっかけ実家での生活の中でアニメ・YouTube視聴が自然に減衰したこと
「抜け出す」の定義自分の裁量で動ける場を一つ持つこと
発信媒体LUCID LOG(ブログ)/
自転車旅チャンネル(VOICEVOX・琴葉茜 AIVoice2 による旅行・読み上げ動画)
遺伝率(参考)IQ 66% ・数学 87% ・音楽 92% ・収入 59% ・性格 ≈50%
参照佐藤航陽「成功は運か努力か才能か?」(1万いいね超)
SECTION 01

呪いの正体。
「知ってしまった」がスタートラインだった。

まず、親ガチャという言葉が世の中に広まったのは2021年頃だった。しかし俺がその概念に出会ったのは2018年、高校2年のときだ。言葉はまだなかった。あったのは5chのスレッドと、まとめサイトと、「遺伝がすべて」「努力は無駄」という匿名の書き込みだった。

そして読んで、調べて、論文の数字を見て、ああそうか、と思った。人生の半分以上は遺伝で決まっている。さらに環境の影響も、「家庭環境」の比重が大きい。つまり生まれた家で、かなりの部分が決まる。これは事実だった。したがって否定できなかった。

問題は、事実を知った後の態度だ。

「知識」が呪いになるメカニズム

具体的には、「遺伝率が高い」と知ったとき、取れる態度は二つある。「だからこそ、残りの数十%に全力を注ぐ」か、「だから何をやっても無駄だ」か。俺は後者だった。圧倒的に後者だった。

たとえばYouTuberのヒカルを見る。あの人のトーク力を見て「すごいな」と思った次の瞬間に、「父親がもともと話がうまかったらしい」という情報にぶつかる。ああ、遺伝だ、と。もちろんヒカルが努力していないとは思わない。けれども「トーク力の土台が遺伝で備わっている人間」と「そうじゃない人間」のスタートラインが違うことは、動かしようがない。

その結果、こういう思考が、あらゆる分野で発動する。勉強、スポーツ、音楽、ビジネス、容姿、コミュニケーション。何を見ても「でも遺伝だしな」がフィルターのように被さる。つまり、やる前に結論が出てしまう。だから動けない。動く理由がない。

これが、呪いだ。

知識が呪いになる。正しい知識が、正しく人を止める。

「遺伝率が高い」という情報は間違っていない。間違っていないからこそ、解除が難しい。なぜなら嘘なら「それは嘘だ」と言えば済む。けれども事実に対しては、「それは事実だ」と言うしかない。そして言ったら動けなくなる。

結局、6年間、俺はこの呪いの中にいた。

SECTION 02

佐藤航陽のnoteが1万いいねで、
曽祖父は連合艦隊司令長官だった。

まず、親ガチャ関連の情報を掘っていくと、必ずぶつかるnoteがある。

具体的には、佐藤航陽。起業家。福島県出身。母子家庭で育ち、早稲田大学を中退してメタップスを創業。2017年に時価総額42.5億円。その後スペースデータを立ち上げて宇宙事業に進出。そしてnoteに書いた「成功は運か努力か才能か?についての考察」1万いいねを超え、公開週に日本で最も読まれたnoteになった。

才能は正規分布、成功はべき乗則

このnoteの出発点は、2022年のイグノーベル経済学賞だ。つまり「社会的な成功において重要なのは才能よりも運であることの数学的な証明」。具体的には、人間の才能──IQ、身体能力、知能──は正規分布する。大半の人が平均付近に固まる。一方で経済的成功はべき乗則に従う。したがって上位数パーセントが富の大半を持っていく。実際、世界の上位8人の資産は、下位36億人の資産合計と同じだ。

才能は正規分布。成功はべき乗則。この二つの世界が重なっているのが現実社会で、だから「少しの才能」と「運」が成功の条件になる。つまり成功者のスペックは平均の1.5倍から2倍程度で、数千倍の資産の差を正当化できるほどではない。

さらに佐藤航陽はここから踏み込んで、規格外の成功を「独自性(ユニークネス)×タダ乗り(フリーライド)」の掛け算だと整理した。

佐藤航陽の「運ゲー攻略法」── 要約

独自性:その時代の「常識」と「非常識」の境界線にアイディアを置くこと。世界初である必要はない。ズラすだけで発生する。ここでは才能と努力の比重が高い。

タダ乗り:既に存在する基盤(YouTube、SNS、流行語、インフラ)を限界まで活用すること。ここでは運の比重が高い。成果の大半はこのフェーズで発生する。

つまり「職人のように創造し、投機家のように行動する」── 求心力と遠心力を同時に回す。これが規格外の成功が起きる構造。

したがって天才を打ち負かす凡才が珍しくない理由も、ここにある。才能が豊かな人は競争に巻き込まれやすい。なぜなら強い相手と戦う自信があるから。その結果、強者の中に埋もれて独自性を発揮できずに終わる。一方で自分が天才ではないと自覚している人は、競争を避け、自分のわずかな強みを活かせる環境を探し、既存の基盤にフリーライドすることを躊躇しない。

佐藤航陽の血筋を知っても「やっぱり無駄だ」にならなかった

ここまで読んで、俺は二つのことを思った。

一つ目。この理論は正しいと感じた。実際、ブログで「ママブロガーの構造的優位性」について書いたとき、自分なりに考えていた「属性の初速差」は、佐藤航陽の言う「タダ乗りする基盤の差」とほぼ同じだった。つまりママブロガーは「ママ」という属性そのものが共感基盤になっている。けれども俺にはそれがない。

二つ目。佐藤航陽自身が、親ガチャの当事者だった。母子家庭。福島県。しかし調べていくと、曽祖父は永野修身──第24代連合艦隊司令長官であり、第38代海軍大臣であり、第16代軍令部総長だった。つまり母子家庭という表面的な環境は「ハズレ」に見えるかもしれない。けれども血筋のレイヤーを掘ると、日本の歴史に名が残る家系だった。

これを「やっぱり血筋か」と読むこともできる。実際、6年前の俺なら絶対にそう読んでいた。しかしこのとき俺は、少し違う読み方をした。佐藤航陽が書いたのは「運ゲーだから諦めろ」ではなく「運ゲーだとしたら攻略法はある」だった。しかも攻略法の核は、独自性を作って既存の基盤にタダ乗りすること。つまりこれは、遺伝のスペックに依存しない戦略だ。

「独自性」は天才的な才能でなくていい。常識を少しズラすだけで発生する。また「タダ乗り」は資本がなくてもできる。YouTubeもSNSも無料だ。さらにブログだって月1,000円のサーバー代とドメイン代だけで始められる。

佐藤航陽の血筋を知っても、今回は「やっぱり無駄だ」にならなかった。

なぜなら、書いてある攻略法そのものが「血筋に依存しない」設計だったからだ。
SECTION 03

きっかけは、
「何か劇的なこと」ではなかった。

まず時系列を整理しておく。

俺は大学を一留して卒業した後、実家に戻った。そこから万引きGメンの仕事に就いて、並行して携帯販売員の派遣にも就いた。つまり実家に戻ってから仕事を始めたのであって、仕事を辞めてから帰ったのではない。しかし結局、派遣を2ヶ月で辞めてGメンも辞めたら5万円ただ働きになって、今は無職だ。

けれどもこの記事で書きたいのは、退職の経緯ではない。実家での生活の中で、ループが少しずつ減速した話だ。

減衰──意志ではなく、生活の変化が起こしたもの

具体的には、アニメを見る時間が減った。意志の力で「見るのをやめよう」と決めたのではない。なぜか以前ほど見たいと思わなくなった。YouTubeも同じだ。たとえば1日8時間見ていたのが、6時間になり、4時間になり、気がつくと「今日あんまり見てないな」という日が出てきた。

では代わりに何をしていたかというと、新しく自転車旅チャンネルの動画編集をしていた。

具体的には、VOICEVOXと琴葉茜 AIVoice2を使った旅行・読み上げ動画だ。琴葉茜 AIVoice2は1万円する有料の音声合成ソフトで、テキストを入力するとキャラクターが読み上げてくれる。ニコニコでよく見ていた長距離徒歩動画の投稿者がいて、俺はその人に憧れて始めた。

琴葉茜 AIVoice2のパッケージ。1万円の有料音声合成ソフト。これを使って自転車旅の旅行・読み上げ動画を制作している。

琴葉茜 AIVoice2のパッケージ。1万円で購入した音声合成ソフト。旅行・読み上げ動画はすべてこれで作っている。

さらにカクヨムで書いた台本を音声にして、別のプラットフォームに載せたらどうなるか。テキストを音声にする。音声を動画にする。動画をYouTubeに上げる。つまり同じコンテンツを複数の媒体に展開する。

あとから振り返ると、これはまさに佐藤航陽の言う「独自性を作って、既存基盤にタダ乗りする」そのものだった。文章(独自性)を、YouTubeという既存プラットフォーム(基盤)に乗せている。けれどもその時点では理論なんて意識していなかった。ただ「これ、やったら面白そう」という感覚だけがあった。

その結果、アニメとYouTubeの視聴が自然に減り、自転車旅チャンネルの動画編集に時間が移っていった。これが「きっかけ」と言えるなら、きっかけだ。ただし、ドラマチックな転機ではない。つまり、あるとき振り返ったら、ループの回転数が少し落ちていた──くらいの話だ。

KEY INSIGHT
呪いが解けたのではない。ループが減速した隙間に、別の行動が入り込んだだけだ。意志の力ではなく、生活環境の変化が、習慣の自然減を起こした。
SECTION 04

「抜け出す」は
「独り立ち」じゃない。

まず、親ガチャから「抜け出す」と聞くと、多くの人は「実家を出て、自分で稼いで、独り立ちすること」をイメージすると思う。

しかし俺の定義は違う。

親ガチャから抜け出すとは、
自分の裁量で動ける場を
一つ持つことだ。

結果を定義にすると、定義が呪いの延長になる

なぜなら、独り立ちは結果だ。結果を定義にしてしまうと、「独り立ちできない自分はまだ抜け出せていない」というループが永続する。つまり実家にいる限り抜け出せていない。無職の限り抜け出せていない。月収がゼロの限り抜け出せていない。したがってそれでは定義が呪いの延長になってしまう。

そうじゃなくて。

月収がゼロでも、実家暮らしでも、布団の中でも、「自分の裁量で動ける場」を一つ持てたら、それは抜け出しの第一歩だと思う。

つまり俺にとってのその場は、LUCID LOGだった。

このブログは誰にも命令されていない。派遣先のような上番メールもない。シフト提出の締め切りもない。「何を書くか」「いつ書くか」「どう書くか」の全部が俺の裁量にある。具体的にはサーバー代月1,000円とドメイン代年1,500円を払えば、あとは自由だ。

もちろん収益はゼロだ。PVもほぼない。いいねも合計ゼロだ。前の記事にも書いた。けれどもこれは「自分の裁量で動ける場」としては成立している。

インプットだけのループから、方向が変わった

たとえば5chのまとめサイトを巡回していた頃は、裁量がなかった。見る・見ないの選択はあるけれど、コンテンツを作る側にはいなかった。つまり他人が書いたスレッドを消費して、「やっぱり人生は運ゲーだ」と確認して、寝る。要するにインプットだけのループ。

しかしブログを書いているとき、ループの方向が変わる。アウトプットが発生する。自分の裁量で、自分の経験を、自分の言葉で記録する。もちろん結果は出ていない。けれども方向が変わったこと自体が、呪いの構造からの離脱だと俺は思っている。

SECTION 05

前と後で、何が変わって、
何が変わっていないか。

ここでは正直に書く。

変わったことと、変わっていないことがある。つまり両方書かないとフェアじゃない。

変わったこと
日常行動アニメ・YouTubeの視聴時間が半分以下になった。さらに5chまとめの巡回が減った。代わりに自転車旅チャンネルの動画企画、ブログ執筆に時間を使うようになった。
思考パターン「どうせ遺伝だから」の前に「これは自分の裁量で試せるか?」が一瞬入るようになった。一瞬だけだけど、6年間なかった一瞬だ。
行動記事を書いて公開するという行為を、継続できるようになった。つまり1本目と5本目では構成力が違う。たぶん。
変わっていないこと
月収¥0。アドセンスは審査中。アフィリエイトもゼロ。
住環境実家。暗い部屋。布団の中でPC。ファンがうるさい。
内なる声「やっても無駄」がある。書いている最中にもある。「こんな記事、誰も読まないよ」という声が頭の中で鳴っている。つまり消えてはいない。
スキルWeb制作の経験は少し。マーケティングは独学の途中。音声合成は触り始めたばかり。資格なし。

変わった部分と変わっていない部分を並べると、「変わっていない」の方が多い。圧倒的に多い。月収はゼロだし、実家だし、「やっても無駄」の声は消えていない。

けれども、一つだけ決定的に変わったことがある。

「やっても無駄」の声が鳴っている状態で、
手が動くようになった。


以前は「やっても無駄」が鳴ったら止まった。つまり声が止むまで布団の中にいた。止まない日はそのまま寝た。

しかし今は、鳴っていても打てる。鳴っている最中にキーボードを叩いている。つまり声は消えないけれど、声がある状態で動けるようになった。
KEY INSIGHT
呪いは消えない。消す必要もない。「呪いが鳴っている状態で、手が動くかどうか」が分岐点だった。
SECTION 06

「社会を変えよう」とは言えない。
でも「記録する」ならできる。

また、親ガチャに関する有名なnoteがもうひとつある。具体的には乙武洋匡の「”親ガチャ”に外れたと嘆くみなさんへ。」だ。

乙武さんの主張は明快だ。「気にするな」とは言わない。「頑張れ」とも言わない。つまり「ガチャに外れても豊かな人生を送れるようにしてほしい」と声を上げてほしい。リスクの個人化ではなく、リスクの社会化を。選択肢を増やす社会を。

もちろん正論だと思う。正論だし、乙武さんのような影響力のある人が言うから意味がある。しかし俺はあの文章を読んで、「そうだ、声を上げよう」とはならなかった。

なぜなら、声を上げる前に、自分がどこにいるのかすらわかっていなかったからだ。

社会を変えるのは俺の仕事じゃない

社会を変えるのは俺の仕事じゃない。政策を語れるほどの知識もない。つまり俺にできるのは、自分に起きたことを記録することだけだ。たとえば派遣を辞めた日のこと。携帯販売員の売り場で「きついですか?」と聞かれたこと。万引きGメンの退職面談で5万円が消えたこと。布団の中で、ファンがうるさいノートPCで、月収ゼロのブログを書いていること。

もちろん記録することは、声を上げることとは違う。けれども記録が残っていれば、同じ場所にいる誰かが「あ、俺だけじゃなかった」と思えるかもしれない。それは政策じゃなくて、ただの一人称のエッセイだけど、実際、5chのまとめサイトで他人の書き込みを読んで「俺だけじゃなかった」と思ったあの感覚は、間違いなく力だった。したがって匿名のスレッドですら力があったのだから、名前と文脈のある記録にはもう少し力があると信じたい。

SECTION 07

同じ場所にいる人に、
俺が言えること。

「頑張れ」とは言わない。乙武さんも言わなかった。俺も言わない。

また「大丈夫だよ」とも言わない。なぜなら大丈夫じゃないから。俺も大丈夫じゃない。月収ゼロで、実家で、暗い部屋にいる。つまり大丈夫な要素がどこにもない。

さらに「遺伝なんて関係ない」とも言わない。関係ある。IQの遺伝率66%は事実だ。数学87%も事実だ。これを否定したら嘘になる。

では俺が言えるのはどういうことか。

遺伝のスペックに依存しない「裁量」という戦場

遺伝率が高くても、「残りの数十パーセント」は存在する。具体的にはその数十パーセントの中に「何を発信するか」「どの基盤に乗るか」「どう記録するか」は含まれている。つまり佐藤航陽の言葉を借りれば、独自性を作って基盤にタダ乗りする──その行為自体は、遺伝のスペックに依存しない。

たとえば月1,000円でサーバーを借りれば、ブログという「自分の裁量で動ける場」が手に入る。YouTubeも無料だ。VOICEVOXも無料だ。琴葉茜 AIVoice2は1万円かかるけれど、一度買えばずっと使える。したがってテキストを打てるなら、今日から始められる。始めた結果どうなるかは運の領域かもしれない。けれども始めること自体は、運ではなく裁量だ。

遺伝子ガチャに外れたと思っている人に、「そんなことない」と言う気はない。外れたかもしれない。外れている可能性は十分にある。

けれども、「自分の裁量で動ける場を一つ持つ」ことまで遺伝で決まっているとは、俺は思わない。

もちろん月収ゼロの人間が言うから説得力がないのはわかっている。しかし月収ゼロの人間だからこそ、「それでも裁量のある場を持てた」という事実には意味があると思っている。
EPILOGUE

呪いが少しだけ軽くなった日。

タイトルに「少しだけ」と入れたのは、嘘をつきたくなかったからだ。

実際、完全には抜け出せていない。「やっても無駄」の声は今もある。遺伝率の数字は頭に残っている。5chのまとめサイトも、たまに開く。布団の中でPCを打っている環境も変わっていない。

けれども、6年前と今を比べると、ひとつだけ違うことがある。

6年前は、
「人生は運ゲーだ」と知って、止まった。

今は、
「人生は運ゲーだ」と知った上で、
ブログを書いている。

つまり止まっている自分と、動いている自分の差は、才能でも努力でもなく、「裁量のある場を一つ持てたかどうか」だけだった。

このブログが将来どうなるかはわからない。たとえば月収がゼロのまま終わるかもしれない。自転車旅チャンネルの動画が誰にも見られないまま終わるかもしれない。

それでも、「自分の裁量で記録した」という事実は残る。記録は消えない。ゼロはゼロのまま、記録にはなる。

同じ場所にいる誰かに、一つだけ言いたいことがある。

「頑張ろう」じゃなくて、
「一緒に頑張ろう」だ。


俺もまだゼロの側にいる。
だから、一緒に。

親ガチャの呪いが、少しだけ軽くなった。
少しだけでいい。
少しだけ軽くなった日を、ここに記録しておく。

── KUNIMOTO / LUCID LOG

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