外に出られない休憩室で、
うつ伏せで松本人志を聴いていた。
モバイル販売派遣員の、
息を整える場所がない日々の記録。
拘束11時間。外出禁止の休憩室。蛍光灯と下水のにおい。
振り返ればトイレが見える距離で、何も食べず、
1.75倍速の「放送室」だけが自分の時間だった。
これは辞めたい理由の、まだ2割に過ぎない。
モバイル販売員の実態。
まず、この仕事の構造を説明する。
モバイル販売派遣員として働くとはどういうことか。家電量販店のモバイルコーナーに派遣社員として配属される。これがこの仕事の実態の出発点だ。今日はその話をする。
初日に「今日から君にはシャカシャカのキャリアのジャンパーが配られます。一緒に頑張っていきましょう」と言われた。それからまだ3時間しか経っていなかった。3時間しか経っていないのに、なんとなく分かってしまった。この仕事は、先がないというよりも、途中で息を整える場所が最初から用意されていない。
顔出しで話すとか、通勤や退勤の様子を撮るとか、そういうことも勤務中ずっと考えた。でもどう考えても無理だった。今も働いているし、個人が特定される要素が多すぎる。だから店名も具体的な場所も書かない。その代わり、今自分の身に起きていることを、できるだけそのまま置いていく。
電車通勤で往復90分。勤務は8時間、休憩が1時間。合わせて9時間ちょっとの拘束になる。そこに通勤・退勤・仕事の準備を含めると、体感では11時間くらいだ。1日24時間のうち、半分近くが仕事に持っていかれる。これがモバイル販売員という派遣の実態の、まず最初の数字だ。
残りの時間で何をしているかというと、大体が回復だ。寝て、風呂に入って、次の日のために身体を戻すだけ。余力を使う前に1日が終わる。これがデフォルトの生活だった。
一度入ったら出られない。
休憩室という密室の実態。
一度従業員口に入ると、体調不良で薬を買いに行くとか、よっぽどのことがないと出られない。この事前説明は一切なかった。シャカシャカのジャンパーは、休憩中も着用したままだ。
モバイル販売員の実態を語る上で、この休憩室の話は避けて通れない。勤務中で唯一、仕事から離れられるはずの場所が、実際にはまったく「離れられる場所」ではなかったからだ。
休憩室は建物の最上階にあった。うっすら暗い。白い蛍光灯が天井から照らしている。壁は少し汚れていて、文字の量が多い紙が何枚も貼ってある。透明なガラステーブルの足のつなぎ目には、錆が浮いていた。
昼頃になると、そこに人が集結する。ほぼ満席になる。ほとんどの人がスマホで縦動画を見ている。部屋に充満するカップラーメンのにおいと、外から漂ってくるタバコのにおい。それがこの空間の空気だった。
場所:最上階
照明:白い蛍光灯(うっすら暗い)
設備:ガラステーブル(脚に錆)/ 壁に掲示物多数
混雑:昼頃にほぼ満席
におい:カップラーメン+タバコ+トイレの下水+芳香剤
外出:不可(事前説明なし)
トイレ:食事スペースから振り返れば見える距離
これが家電量販店に派遣されたモバイル販売員が、毎日使う休憩室の実態だ。
振り返ったらトイレが見える。
マスクの下を見せたくなかった。
休憩室にはトイレがある。従業員も家電量販店の社員も、みなそこのトイレを使う。下水と甘ったるい芳香剤が混ざったにおいが、常にうっすら漂っている。
そしてそのトイレは、ご飯を食べる場所から後ろを振り返ったら見えてしまう距離にある。だから「あいつトイレ行ったんだ」と、よく心の中で思っていた。
いや、実際には、俺が気にしていたのは逆のことだった。
俺が食べるのを見られたくなかった。
マスクの下を見られたくなかった。
自分のプライベートな顔、空間、そういうものを保っておきたかった。この密室的な部屋の中では。じゃないと、すべてがあらわになってしまう。食事の仕方も、マスクの下の顔も、トイレに行くタイミングも、全部が他人の視界に入る。モバイル販売員として派遣で働くということは、勤務時間だけでなく、休憩時間のプライバシーまで差し出すということだった。
テーブルにうつ伏せになって、イヤホンをつけて、目を閉じた。
それが、あの部屋で自分を守る唯一の方法だった。
何も食べず、
うつ伏せで音楽を聴いていた。
休憩時間は、毎日うつ伏せの姿勢で過ごしていた。食事は取らない。目も閉じている。外界との接点はイヤホンだけだった。
聴いていたのはCharli XCXと、WEDNESDAYというバンドの「Elderberry Wine」という曲。特にElderberry Wineは何度もリピートした。これは本当にいい曲だから、聴いてほしい。あの蛍光灯の下で、カップラーメンのにおいの中で、この曲だけが別の場所に連れて行ってくれた。
音楽のほかに、もうひとつ休憩時間の支えになったものがある。
ダウンタウンプラスの「放送室」だ。
ダウンタウンプラスの「放送室」という、
小さな癒し。
ダウンタウンプラスに加入したのは、1月4日頃のことだった。
もともと松本人志のことは嫌いでも好きでもなかった。テレビもほとんど見ない。ただ、5chで「フリートークはマジで面白い」「キレキレ」という書き込みを何度も見かけていて、実際にそのシーンを知らなかった。
松本人志が謹慎処分を受けた後、テレビには出ずに自分のサブスクチャンネルを持つことになり話題になった。どんな感じに老けているんだろうと思って切り抜きを見てみたら、これが案の定、面白かった。まだ周りの人はあまり入っていない時期だったから、自分だけがこんな面白い動画サイトを知っているという感覚が、ちょっとしたステータスだった。そこから入って正解だった、最初の1ヶ月は。
結構見漁った。過去のコンテンツも見られる。その中のひとつが、高須光聖と松本人志の二人のラジオ「放送室」だった。
高須と松本のラジオが、休憩時間にちょうどよかった
結構しゃべっているのは松本の方だなというのは分かる。笑いの少ない回もある。それでも面白い。松本が反米なこと、映画を撮ろうとしたこと、映画の日本語字幕の醜さにけちをつけたこと、「マッチポンプ」がどういう意味か答えるのが難しいという話、バレンタインデーの女性が裸で馬に乗って見せつけた話。面白いのに、あんまり頭に残らない。でも何回か、うつ伏せになりながらも笑ったことがあって、ちょっとした癒しの時間だった。
1.75倍速で聴いていた。ちょうど1エピソードが休憩時間内に聴き終わるくらいの長さで、それがハマった理由のひとつだった。うつ伏せの姿勢で、イヤホンから流れる松本のトークだけが、あの蛍光灯と下水のにおいの密室の中で、唯一の自分の時間だった。
休憩時間は無給指定だ。それでも、だいたい感覚で「そろそろ呼び出されそうだな」というのが分かってくる。休憩はひとつの楽しみだった。ちょっとした自分時間だったから。
休憩が終わる。
トランシーバーをつけた瞬間に
重しが載る。
やがてその時間が終わる。
うわぁ、またか。
またあの居心地のしない、死んだ時間を過ごすのか。そう思いながら休憩室を出る。モバイル販売員の実態として、この「休憩後の絶望」はおそらく派遣で経験した人なら誰しも覚えがあると思う。
「いらっしゃいませ」を言う前に、まずやることがある。トランシーバーのイヤホンを左耳につけなければならない。俺は右ではなく左に着けていた。右手をよく動かすから、右につけると外れてしまうからだ。
つけた瞬間に、またいつもの同じ従業員の声がする。さっきまで松本人志の声を聴いていた耳に、現実の音が戻ってくる。心の重しを、ひとつずつ載せられていく。
75%のエンジンで「いらっしゃいませ」
休憩から売り場に戻ると、まず従業員に身体を見せておく。ちゃんとサボっていませんよ、と。たいてい誰も俺のことなど見ていない。それでも、いきなり75%くらいのエンジンで「いらっしゃいませ」と声を出さなければならない。
イヤホンコーナーはすぐそこにあるのに、
立たせてもらえなかった。
売り場には大谷翔平のパネルがあった。それが社会との交流口みたいなものだ。あとはイベントコーナーの人が流す音楽。そういうものが、エンタメ世界とのわずかな接点だった。
エンタメ世界の入り口であるイヤホンコーナーは、すぐそこにあった。手を伸ばせば届くくらいの距離だ。さっきまでイヤホンで音楽を聴いていた人間が、イヤホンを売る場所のすぐ横に立っている。しかし俺はイヤホンの知識がないからという理由で、そこには立たせてもらえなかった。
俺が立たされるのは、充電器とスマホカバーとフィルムのコーナー。もしくはエスカレーターの下でティッシュを配るか。そのどちらかだった。これがモバイル販売員として家電量販店に派遣された人間の、売り場での実態だ。
これはまだ、
辞めたい理由の2割に過ぎない。
モバイル販売員の実態について、このテーマで話したいことは一通り話せた。
でも、これはまだ辞めたい理由の2割に過ぎない。まだまだ序盤だ。
外に出られない休憩室。蛍光灯と下水のにおい。振り返ったら見えるトイレ。何も食べられない昼休み。トランシーバーをつけた瞬間に戻ってくる現実。充電器コーナーに立たされる日々。これだけ並べても十分にきつい。しかし、この仕事の本当のきつさは、まだ書いていない。
このブログでは、こういう違和感をできるだけそのまま置いていく。今も働いているから分かることだけを。綺麗にまとめるつもりはない。モバイル販売員の派遣という仕事の実態を、起きていることとして、記録として残す。
この記事のスペックシート。
| 書いている人 | 24歳 / モバイル販売派遣員(当時)/ 現在は無職・月収¥0 |
|---|---|
| テーマ | 家電量販店に派遣されたモバイル販売員の休憩室と勤務実態の記録 |
| 勤務形態 | 人材派遣(家電量販店のモバイルコーナーに配属) |
| 体感拘束 | 約11時間/日(勤務8h+休憩1h+通勤往復90min+準備) |
| 休憩室の実態 | 最上階 / 外出不可(事前説明なし)/ トイレ隣接 / 蛍光灯 / カップラーメン臭+下水臭+芳香剤 |
| 休憩の過ごし方 | 食事なし / うつ伏せ / Charli XCX・WEDNESDAY「Elderberry Wine」/ ダウンタウンプラス「放送室」1.75倍速 |
| 売り場の持ち場 | 充電器・スマホカバー・フィルムコーナー / エスカレーター下のティッシュ配り |
| 辞めたい理由 | 本記事で2割。残り8割は続編にて |
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